私がアメリカにいたときに一番の学びはタイトルにもあるように使っていいですか?という問いに対して「Yes」という返答と「No」という返答があるということです。
日本で生活していると勝手にYesという返答が当然だと思っている
私はアメリカのサンフランシスコに数年住んでいたのですが、これはホームステイしていた時期の話です。そのホームステイ先には10歳の男の子と12歳の女の子がいました。あるときバスケットをしようという話になって近くの公園に行くことになりました。公園に着くとなぜかバスケットゴールの下で寝ている男性がいました。バスケットをするためにはどいて欲しいので、「すみません、バスケットやりたいのでどいてもらえますか?」と私は聞きました。
するとその男性は「No」と言いました。
今あなたがこの状況に直面したときに「え?何で?」と思ったのであるとしたら、タイトルに書かれている「使っていいですか?」という問いに対して「Yes」という答えと「No」という答えがあるということが分かっていないかもしれません。
当時の私も「え?何で?」と思い、良い気分はしませんでした。しかし、一緒に行った2人の子供達はただ一言「OK」と言って「じゃあ違う公園に行こう」と言い出して文句一つ言いませんでした。
この感覚って日本にいたら「え?」ってなりますよね。ただこのとき私はYesとNoの二択の選択肢を与える質問をしているのにも関わらず、男性の返答はYesしかないと勝手に思い込んでいたことに気付きました。
私には寝ていた男性へのリスペクトがなかった
その2人の子供と私の違いはそこで寝ていた男性へのリスペクトの差です。もちろんその男性がルールを破っているのであれば話は別ですが、そこで寝てはいけないというルールはないですし、なりより自分たちより早くその場所を使っていたことをその子供たちはリスペクトしていたのです。私は出来ていませんでした。むしろ自分のエゴで「どいてくれるのが普通だろう」と思っていました。「何あの人、性格悪いな」と圧倒的に考えが偏りすぎてました。これに気付いてから仕事でもプライベートでも違う意見を言われたり、逆の意見を言われてもしっかり筋やロジックが成立していればより冷静に受け入れられることが多くなりました。この考え方の偏りは無意識レベルなので、今の日本の文化や環境、教育だけではなかなか気付けないことだと思います。
日本いると同調圧力、大多数の意見が正解ということをよく聞くと思いますが、日本人の中でも色々な考えがあるはずなのに、そのような偏った考え方を多くの人が持っているため、レールから外れると誰かを叩いたり、悪口を言ったりするこの社会の風潮が色々な人を苦しめているのだと思っています。
少子化などによる人口減少などにより仕事においても日本だけのマーケットは苦しいですし、これから日本をもう一段階、二段階発展させたり、守っていこうとしたときに、一度日本を飛び出さないと守れるものも守れないのではないかと思います。英語を学ぶのも大事なのですが、いろいろな価値観や考えに触れて自分の視野がいかに狭いかを気付く必要があると思います。
この記事を読んだ人にはぜひ「使っていいですか?」という問いに対して「Yes」という返答と「No」という返答があるということを覚えておいて欲しいです。相手のことをリスペクトすれば、「あいつムカつく」「この子嫌い」などという低次元な話にはならないでしょう。人間関係もかなり楽になるはずです。考え方の視野も広がるでしょう。
今はコロナウイルスで難しいですが、個人的にはこれから海外に出ていろいろ戦う日本人が増えて欲しいと思っています。そして、日本がいろいろな考え方が普通に受け入れられる社会になるように一人一人が行動するべきだと思います。